カクゼツ

一般大衆からは隔絶された面倒オタクの独り言。基本的にゲームのことばっかです。

結婚・育児を見据える男達に捧ぐ言葉

昨日読んだ本の内容が目から鱗だったので書き記しておきます。

結婚なんて古臭い表現の形態なんですよ。社会制度である一方、僕が今まで言ってきたことに照らし合わせれば、結婚もひとつの表現なんです。古くからある、贅沢品。 ~中略~ 一人でも生きていける社会だから、結婚することの意味合いは薄くなっているんです。でも、薄くてもなお一緒にいることの意味を見出すのは大変ですよね。だけど、家族をひとつの”作品”だと思えば、”作品”の管理やメンテナンスをするように、家族間のコミュニケーションをとり続けることが、苦にならなくなってくるんですよ。贅沢なアンティーク品だと思えば、長い間にメンテナンスを施して家族生活していくことにも価値があるんじゃないかと思うんです。

アナーキー・イン・ザ・子供かわいい ”父親に成る”ということ / 槙田雄司 p125~p127より引用

これ、没頭するような趣味を持つ趣味人が父親に成る際は必ず心得ておくべき名言だと思いました。

 

筆者は多趣味+ハマり性の典型でして。独身の頃は稼いだお金は自分のために使ってナンボとしか考えてませんでした。アーケードゲームコンシューマーゲームボードゲーム、楽器(サックス)、バンド活動、漫画収集、ダーツ、カメラ、グルメ、旅行、etc... 何にどれくらい使ったかはお察しください。

そんなテキトーだった輩でも何の因果か、結婚して、来月には子どもが生まれます。

結婚して、子どもが出来て、そして子育てに追われ始める。 「自分の趣味の時間が少なくなるのは仕方のない事だし自分で選んだこと。かわって「子育て」という新しい趣味が追加されて比重が大きくなるだけ」くらいで考えていました。

でもこれが違ったんですね。まだ生まれてすらいないのにもう既に違った。 「子育てがパートナーとの共同作業」だってことを全然考慮してなかったわけですよ。 そして言ってしまえば「腹の中で育ってる時点でもう子育ては始まっている」

共同作業で最も重要なのは当たり前ですがコミュニケーションです。 パートナーはこの数ヶ月間腹を痛めて疲弊しながらも新たな生命の誕生を感じて心身の準備を整えますが、一方それを理解したつもりになっていても、やはり数ヶ月後に訪れる諸々の一時休戦までの時間惜しさについ趣味にのめり込んでしまい、「子育てという事実上もう始まっている共同作業のためのコミュニケーションにイマイチ本腰を入れることができない男」がいたわけです。

自分が今まで執心し続けてきた事柄と、これから多くの時間を割いて取り組むこととなる新たな事柄、これらを自分の中でどう折り合いをつけるべきなのか、苦心し続けていたんですが、前述の槙田氏の言葉で、モヤモヤして掴み所も落とし所もなかった何かがクリアになり、腑に落ちた感覚がありました。

 

家族生活や子育ては人生の多くを費やしてプロデュースしていく表現・作品であり、そのメンテナンスをするためのコミュニケーションには多くの時間を費やす価値がある。

結婚・育児を人生の墓場と捉えるか、自分の人生最大のアートと捉えるか。 考え方ひとつでどうとでもなることなら、面白いほうが良いに決まっている。