カクゼツ

一般大衆からは隔絶された面倒オタクの独り言。基本的にゲームのことばっかです。

生と死を見つめて

2015/4/20、第一子が産まれました!!   [embed]https://www.flickr.com/photos/na_op_oo_na/17035359378/[/embed]   自然分娩を目指すも、破水後の時間経過・胎児回旋異常など諸々の事情で困難と判定され止む無く帝王切開、なかなかの難産で心配もありましたが、なんとか母子ともに異常無く今を迎えることができています。 こうして一児の父となったわけですが、残念ながらこの吉報を伝えることができなかった相手がいます。   時は遡って2015/3/30、父が亡くなりました。 享年59歳でした。   大細胞がんという、発生も進行も尋常ではない速さで、早期発見と根治が難しいタイプの珍しいがんで、発生源は断言はできないものの肺だろうとのことで、ほぼ間違いなく長年にわたって吸い続けていた煙草が原因と推測できるものでした。 ほんの1年半ほど前に挙げた結婚式で元気そうに最前でカメラを構えてシャッターを切りまくっていた人が、昨年9月に脳転移が見つかってからわずか7ヶ月で逝ってしまいました。 しかしながら発見時点でステージ4、末期がんだったにもかかわらず、抗がん剤こそ使ったものの延命治療もなしにここまでよくもったものだと思います。   危篤の報を受けた時は妻が出産予定日間近であったり、個人的な別れは昨年の発見時点で告げに行ったこともあり、見取りに行くことはしませんでしたが、せめてもと思いその日の朝に電話で話しました。 母に取り継いで貰い父に代わると、「おう、大丈夫。おう、大丈夫。おう、大丈夫。」とろれつも回らぬ口調で繰り返すばかりで、こちらの言葉が聞こえているのかどうか、もはやわからない状態。   ああ、人の病死に直面するのって、これが一番辛いんだな、と。 この世からいなくなったという事実だけ切り取って冷静に考えることができるならばまだ楽で、この「人としての機能が壊れていく様」を見せられ続けていたらと思うと、楽観的に考えるのは容易い事ではなさそうだと痛感させられた。 脳転移した細胞で脳を圧迫されて目の焦点が合わずカメラもPCもスマホも操作できなくなり、 介助なしでは立って歩くこともままならなくなり、 飯もまるで喉を通らず病院で点滴して家ではずっと寝たきりになり、 この病魔の進行を、間近にいながら見届けることしかできなかった母の苦しみは、筆舌に尽くし難いだろう。 自分は出産の時に陣痛に耐えるしかない妻を見守り続けるだけでも辛かったというのに。   本当に昔から弱いところは全く見せない父だったので、最後の最後まで心配をかけまいとしていたその信念が、今際の際に繰り返していた言葉に込められていたような気がしました。   進学、就職で実家を離れた人も多いであろうこの季節。 ありきたりだけど「孝行したい時に親はなし」です。 自分のことで手一杯な日々を生きる中でも、母の日、父の日、記念日、誕生日とか、別にそんな日じゃなくても気分でもいい。 これを読んで下さっている皆さまにつきましては、それこそ俺に対してウチの親父なんぞに冥福祈るとか思ったり書いたりするその一手間で、大切な人へ他愛も無い連絡の一つでもしてやってくださるよう、よろしくお願いします。ご冥福をお祈りします」 じゃなくて 「元気にしていますか」 と打って、ちょっと宛先を変えるだけです。     反面教師な所のほうが多い父だったけど、見習うべきところは見習って、俺も立派に父親やっていこうと思います。