カクゼツ

一般大衆からは隔絶された面倒オタクの独り言。基本的にゲームのことばっかです。

レジェンドオブレガシー 総評

本作が目指した「ド」がつくほどのファンタジーというのは、例えば見た目だけを近づけることは比較的簡単だと思うんです。しかし、90年代に多くあった「面白いファンタジーRPG」というのは中身が面白くて、そこがなければただの真似になってしまって意味がない。

メーカーで面白さが保障される時代は終わった!?『レジェンド オブ レガシー』開発者インタビュー、小泉今日治が用意したご褒美にも注目 http://www.inside-games.jp/article/2015/01/03/83850.html より

ナイスブーメラン!!

※ネタバレ全開で語るのでプレイ予定の方は閲覧を控えてください。

総プレイ24時間程度で1人目のキャラクター、エロイーズをクリアした。 率直な感想としては「面白いと感じたこともあるが、面白くない部分が目立ちすぎた」。

そこから逆に90年代RPGの面白さとは何だったのかを改めて学ぶことができた。 そうとでも思わないとこれに定価を支払った意義を見出だせない、とも言える。

ストーリーの予想以上の薄っぺらさ

各キャラ個別のストーリー語られるのは、一周目をプレーした限りでは、以下のみ。 ・オープニング ・ダンジョンを一定数クリアする度に宿屋に泊まると発生する回想 ・エンディング 以上

個人的にはそれなりに難易度の高いバトルさえあればまあまあ楽しめる性分なので、難はありつつも最後までプレーはした。 しかし90年代を筆頭にRPGにも見受けられるようになった重厚でドラマティックなストーリーを求めるような人が本作をプレーすれば、「サガのスタッフ集めました詐欺」と罵りたくなる気持ちもわかる。 とにかく薄っぺらい。7人の個性あるキャラクターをウリにしている割に、そのキャラクター同士の掛け合いはせいぜいボス戦やイベントの際の「一言コメント」ぐらいのもので、各自の思惑が交錯するような群像劇は皆無である。本当に全く無い。大事なことなので二回言う。

キャラクター達それぞれの背景があり、物語を進めていく中で織り成される協力、敵対、裏切り…、当たり前のようにも思えるそれらがRPGにおいてどれほど重要であることか、このゲームを遊ぶことで強く実感させられること請け合い。

大陸浮上で煽られた期待の行き場の無さ

ストーリー中盤でアヴァロン大陸の隠れていた部分が浮上して真の姿を見せるのだが、風呂敷を広げた割にダンジョン数と内容がショボイ。 グレートクラックという山の入り口からテーブルマウンテンというダンジョンに派生して、これはどれだけ階層登らされるんだ!と期待したら、テーブルマウンテン南、テーブルマウンテン西、テーブルマウンテン東、テーブルマウンテン北、それぞれワールドマップから直入り、各1マップって、あのさあ。もはや山である意味ないよね。平地でいいじゃん。

さらに大陸北部がガランと空いており、ここにどれだけダンジョンが出てくるのだろうと思ったら、「大砂漠」だけ。 しかもその大砂漠を出すためには、複数不特定のダンジョンにたまに出現するNPCが地図をくれるまで延々と出入りする必要があるという、何を意図したのかサッパリわからない仕様つき。 ※確実に入手する方法があったため訂正します。 結局大陸が広がったものの、元からあったような気もするせせっこましい所を行き来してたらあれ全部もう終わり?という感じだ。

あの一本糞RPGと名高いFF13ですらアルカキルティ大平原という広大なフィールドを後半に持ってくることで一定の評価を博した。 「広がる未開の地を隅々まで探索できる」という事、これもまたRPGの魅力の1つなのだと痛感させられる。

余談だがこういった点に魅力を感じる方には是非ゼノブレイドをプレーしていただきたい。 2015年4月にはNew3DS専用タイトルとして移植版が発売されるという好機。 筆者的には現時点では「2010年代最高のRPG」と言い切れるくらいオススメ。

敵キャラのモデルの使い回しの多さ

後半になればもう雑魚の姿形に新鮮味を感じることは全く無くなる。 雑魚といったら小さい幽霊、鳥、獣、カンガルーと思しき何か、トカゲ、ライオンっぽいもの、ボスは鳥とゴーレムと竜くらい、あと何かあったっけ?と、プレーを終えた直後に執筆しているにも関わらずこの程度しか思い返せない、モデルとそのインパクトの少なさ。 最後のダンジョンの直前に立ちふさがるボスも、その2つくらい前のダンジョンに出てきた、倒さなくても問題ないボスとモデルも使ってくる技もほぼ同じ手抜きぶり。せめてストーリー中のボスのモデルくらいは差別化してほしかった。

ある程度の期間ではあるものの倒す順番の自由度があり、敵の見た目にもかなりのインパクトがあった聖剣伝説3の神獣戦がどれほど濃密であったかということを思い知らされた。 「ボスの姿形や技を使い回す」というコストカットは、遊ぶ側の高まる期待も全てカットしているに等しい。

一定以上面白さの広がらないバトルシステム

ガードカウンターワザが強すぎて、それを覚えて以来フォーメーションを変えることは一切なかった。 フォーメーションを形成するためのポジションは基本的にアタック、サポート、ガードの三種だが、それらの亜種のようなポジションも中盤以降で手に入るものの、NPCからのランダム入手となっており、人によっては1つも習得しないで終える事もあるかもしれない。

後半の戦術は、1人が水の精霊呼び出し&シールド系精霊術のローテーション、1人が攻撃、1人がガードカウンターという思考停止戦術。これでほぼ安定してしまう後半のボスたちがあまりにも不憫。 「ボスが強い」というのは裏を返せば「ある程度安定する戦略を考える必要がある」ということであるため、ワンパターンとなること自体は否定しない。「どのボスに対してもとりあえずこの戦術を取っておけば何とかなる」という「敵の強さのバリエーションの少なさ」に問題があるのだと思う。

アクセサリを装備していないと使えないが使用しているうちに運が良ければ習得できる精霊術も、各属性色々なものを揃えてあるものの、このボスに対してはこれが有効だとかそういった差別化が全然されておらず、結局1キャラに水のシールドで味方全体のダメージを軽減する「スプラッシュウォール」を覚えさせておけば全て何とかなってしまった。 精霊の加護の奪い合い要素も、結局水の精霊の加護さえ受け続ければHPが毎ターン回復する上に術攻撃の威力も半減となるため、水と風は確実にこちらのものにしておき、火については放置していたことが多かった。とりあえず水の精霊を抑えた上で適度に回復と物理攻撃さえしていれば大体なんとかなるので、攻撃系の精霊術の使用頻度は激低。

高くし過ぎた難易度」と「手間のかかる精霊術システム」こそが逆に「技の閃きや様々な効果の精霊術による幅広さ」を完全に殺してしまっている。幅の広い遊びが出来るようにするには如何せん締め付けがきつすぎた。

FF5に代表されるようなジョブシステムが何故面白いかと言えば、「どのジョブでも余程のことがない限り何とかなるゆえに攻略に個性が出てくるから」であって、特定のジョブのアビリティがないと全滅するような攻撃をガンガンしかけてくる雑魚がワンサカ出てくるような難易度だったら、ここまで評価されることはなかったはずだ。

ボスの強さ調整の手抜き

後半のダンジョンで、前半のダンジョンそれぞれでボスとして立ちはだかったゴーレムが再登場するというイベントがあるが、この強さの調整の手抜きぶりがかなり酷い。攻撃力や防御力がおそらく何も調整されていないがHPだけは無駄に多くなっているという絶句モノの状態であり、ノーガードで攻撃しているだけで倒せてしまった。

同じ敵との再戦というのは物語上の因縁があるからこそ活きるものだ。後半のダンジョンでクライマックスに向かう途中で、一度戦っただけの無機質なゴーレムに「お前は家のお掃除ロボかよ」とツッコミたくなるような適当な台詞を吐かせて再登場させた挙句、中身はタダの消化試合ともなれば、それはもうゲームに水をさすただの作業である。

2周目への引き継ぎがアイテムやワザの図鑑のみ

ここまでの話を踏まえた上で、 覚えたワザも、集めたアイテムもお金も、全部無くなった状態で 「よし!2周目他のキャラもやってみよう!」なんて思う人はどれくらいいるだろうか。 何やら2周目以降でしか出てこないワザやアイテムがあるらしいが、逆効果でしか無い。

ディレクターがクロノトリガーをプレーしているのかどうか怪しくなってくる。

 

内容以上の期待を煽る広報は本当に見事だったと思うが、今後フリューのゲームは発売日には絶対に買わないと決意した次第。